レンタルの狭間で揺れた男
先日、元オランダ代表MF マルコ・ファン・ヒンケルのチェルシー退団が発表された。
青いユニフォームで戦った試合はわずか4試合。加入が2013年だったことを思えばあまりにも少ない出場だった。
こうした例を元に欧州トップクラブはしばしば批判の的になる。
有望な若手を青田買いをして、レンタルで各地を転々とさせる手法。
チームとしてはスカッドをダブつかせず選手を保有できるが、毎年毎年新しいチーム、新しい国に馴染まなければいけない選手は大変だ。
特にチェルシーはレンタル移籍の多いチームとしても知られる。若手を中心に30名ほどの選手が、様々なチームで奮闘している。
レンタル移籍の目的
レンタル移籍の目的は大きく分けて3つある。①若手の育成、②経済的投資、③ショーケースだ。
①若手の育成
基本的に全てのレンタル移籍の建前はこれになる。下部組織出身の選手や安い移籍金で獲得した若手を中心に、「ユース以上トップチーム未満」の選手に経験を積ませる。
ビッグクラブは5大リーグ以外の欧州リーグ、具体的にはオランダやポルトガル一部に渡すことが多い。
チェルシーではアルマンド・ブロヤ(→フィテッセ/オランダ)やマラング・サール(→ポルト/ポルトガル)が研鑽を積んでいる。
しかしトップチームでの活躍を想定するなら、自国リーグが一番だ。
したがって自国の2部や、昇格組など、比較的出場機会が見込まれるチームへのレンタルが望ましい。ただ特にハイレベルなリーグで残留に躍起となるチームは、「才能がある」というだけで1年限りの新戦力を簡単に獲得してはくれない。
ある程度トップチームでの出場機会がある選手でしかなかなか話には応じてくれない。自国にとどめておけるのは、実績のある選手が多い。
サッリ政権で輝きを放ちつつ、現在はケガからの復調を目指すルベン・ロフタス・チーク(フラム/イングランド)、チェルシーでELにも出場したイーサン・アンパドゥ(→シェフィールドU/イングランド)がこれにあたる。
また特殊なパターンとして、移籍金をかけて獲得したのち、合流まで元所属チームにレンタルで渡すこともある。チームへの十分な適合が難しい、シーズン途中の移籍などでありがちである。
選手の確保と試合勘を両立させる手段だ。補強禁止処分が待っていたので完全に当てはまるわけではないが、クリスティアン・プリシッチ(←ドルトムント/ドイツ)の獲得はこの手段を用いた。
基本的に全てのレンタル移籍はこの①「若手の育成」を建前に行われる。
しかし実際には次の ②経済的投資 を孕んでいるパターンも多い。
②経済的投資
欧州トップクラブはあらゆるところにスカウトの目を光らせている。それはヨーロッパにとどまらず、南米やアジアも例外ではない。
ここ最近ではマンチェスターシティが立て続けに日本人選手を獲得したことも話題になった。
余談だが私はガンバ大阪も好きなので、食野がデビューした時から見ている。
もちろんキレのあるドリブルや精確なシュートなど、才能あふれる選手ではあった。
しかし世界単位で見れば才能ある若手など多くいるし、Jでも圧倒的に突出していたというわけではない。プレミア王者が戦力として換算していたわけではないだろう。
板倉、食野は獲得直後にそれぞれ別リーグにレンタルされている。シティの狙いはそこで活躍してもらい、買取による収益を得ることと見込まれている。格安の移籍金で若手を獲得、他チームに貸し出し活躍してもらい、完全移籍につなげる。
獲得時以上の移籍金を得る。こうした経済的投資が目的のレンタル移籍は多い。
コロナ禍で多少落ち着いたとはいえ、移籍金の高騰がここ数年のサッカー界のトレンドだ。1人新戦力を獲得することにさえ莫大な金額が必要となる。そこでその足しにしようと、各国の若手を格安で獲得、別クラブに高額で売買という手段をとる。
売買による利益獲得は重要な財政源だ。安く買って高く売る、株取引と同様だ。
もちろんいくらビッグクラブのお墨付きとはいえ「買って」というだけで選手を獲得をしてくれるクラブはないため、「試用期間」としてレンタル移籍が活用される。
当然ながら想像以上の大活躍をすれば、手元に戦力として残す可能性はある。
ただそれはあまりに狭き門であるのが事実。
とはいえそれなりに保証がある状態で欧州挑戦をスタートできるという利点は、アジアなどサッカー後進国の若手にとっては魅力的だろう。
③ショーケース
最後は予め売却を最終目的とした「ショーケース」としてのレンタル移籍だ。
②の経済的投資と似ているが、こちらは1stチームである程度出番を得ながら、自身の価値を発揮できなかった選手を円滑に売却するのが目的だ。
既に名前の売れている選手が多いため、それなりに大きなクラブへのレンタル→完全移籍が可能になる。
余剰戦力を整理することで、クラブの経済的負担を減らせるし、そこから移籍につなげて獲得にかかった移籍金を回収できる。
チェルシーで言えばアルバロ・モラタ(→アトレティコ・マドリード/スペイン)が直近の大きな例だろうか。
約100億で獲得したモラタは結局チェルシーで輝きを放ち切ることはできなかったが、アトレティコが約80億の支払いでレンタル→完全移籍へ移行。ある程度投資した額を回収することに成功した。
年齢・キャリア的にも中堅の選手はこうした売却前提のレンタル移籍になる。
ティエムエ・バカヨコ(ナポリ/イタリア)、ミシー・バチュアイ(クリスタルパレス/イングランド)辺りは既にチェルシーでの未来は限りなく閉ざされているだろう。
この形式のレンタル移籍はチェルシーに限らず多くのクラブでよく行われる。ガレス・ベイル(レアルマドリード→トッテナム)などが昨夏の移籍市場を賑わせた。
実力的には一度は認められた選手たちなので、復活の可能性も当然ある。3バックに適性を見せ優勝に貢献したビクター・モーゼスは代表的な例だろう。
もっとも全てのレンタル移籍がこの例に当てはまるわけではない。育成目的で出したはずが、驚異的な活躍をして買い取られたり、差分による利益目的だった選手を戦力として換算しなければならなくなったりすることもある。
例えば出場機会がそれなりにあったにもかかわらず、監督変更で潮目が変わったフィカヨ・トモリ。おそらく育成目的で昨冬ミランに貸し出された。
しかしそのミランで目覚ましい活躍を見せ、結局満額で買い取られることになった。
結果的に ①若手の育成 から ③ショーケース になったわけである。
チェルシーのスタンス
チェルシーがこれまで批判を浴びてきたのは主に②の側面が強いからである。①と②をだいたい2:8くらい。レンタル先ですさまじい活躍をすればトップチームで見る、ただ基本的には高額選手の移籍金の足しになればというスタンスだ。
マイケル・エメナロが確立したこのシステムはチェルシーをレンタル大国にし、一時期は40人近くが青以外のユニフォームをまとって戦った。
0からのスタートとなる選手たち
チームにとって有益だが、選手にとっては厳しい状態だ。毎年チームが変われば、ましてや国も変わるとなればなかなか安定したパフォーマンスを送るのは難しくなる。
2011年にチェルシーに加入しながら、わずか3試合の出場に留まったルーカス・ピアソンはレンタル移籍の被害者としてたびたび批判を口にしている。
なおピアソンはようやく昨冬にブラガへの完全移籍が決まった。健闘を祈りたい。
ここ最近は潮目が変わりつつあり、メイソン・マウントやアンドレアス・クリステンセンがトップチームでの出場機会を掴んでいる。ただ補強禁止という異常事態がなければどうなっていたかは正直わからない。
帰る場所がある
「ホームが欲しい」と言うピアソンをはじめ多くの選手の気持ちはわかる。しかし一方で別の言い方もできる。それは「ホームがなくても、帰る場所がある」ということだ。
もちろん愛したクラブに居続けるのが最高だろう。ワンクラブマンはチームを愛し、愛されるように。
ただし今、同じチームに居続ける選手はほとんどいない。どれだけのレジェンドでも、チームを去るのが既定路線になりつつある。
ましてや群雄割拠の欧州トップクラブには、戦力になれない選手に給与を払い続ける余裕はない。常にケガとも隣り合わせで、いつ無職になるかわからないのがプロスポーツの世界だ。
今季のCLで出色のパフォーマンスを見せ、チェルシーの優勝に大きく貢献したエドゥアール・メンディでさえ、2014年からの1年間、所属チームがない期間を過ごしている。
最初に取り上げられたファン・ヒンケルの例に戻ろう。ファン・ヒンケルは加入直後に靭帯を断裂。その後もケガに苦しめられ、継続的に結果を出せなかった。
普通のクラブであれば、こうした「スぺ体質」の選手は放出候補になりやすい。また獲得に手を挙げるクラブも少なくなる。
しかしここまでファン・ヒンケルがピッチに立つ夢を追い続けられたのは、彼には「所属クラブ」があったからである。試合に出られなくても給与は払われ、治療にも時間を割けた。
もしもレンタルの選手でなければ今頃引退を余儀なくされていたかもしれない。
そのファン・ヒンケルは先日PSVへの完全移籍が決まった。たびたびレンタルでも加入していた母国クラブへの復帰。今後はケガなくプレーし続け、再び日の目を浴びてほしい。
レンタル移籍の功罪
チェルシーのレンタル移籍はたびたび批判を浴びる。しかし一方で、選手たちにはこの厳しいプロの世界で「保証がある」ことでもある。
だから良い悪いではなく、それがレンタル移籍というものだ。
今後も多くの若手がチェルシーから他クラブに向かうことになるだろう。難しい戦いを異国の地で強いられることになるだろう。
ただし少しだけ、選手たちに状況は改善されたように感じる。理由は2つある。
まずは多くのプレーヤーが「レンタル先で活躍した選手はトップチームでも通用する」ことを証明したからだ。
今季のMVPになったマウントを筆頭に、今のスカッドは若手でも活躍できることを示している。これまでは形式的に同行していたプレシーズン。
今後は上層部の見方も、レンタル先から帰ってきた選手たちの取り組み方も変わってくるだろう。
次に、レンタル選手のクオリティの高さが認められはじめたからだ。
先述のトモリを筆頭に、同じイタリアではマリオ・パシャリッチ(アタランタ)が重要な役割を担っている。「チェルシー産は質が高い」と分かれば、ビッグクラブでも手を挙げやすくなる。
そうしたクラブは財政的にも多少は余裕があるので、価値をしっかりと証明できれば、買取につながり、安住の地を見つけられる可能性が高くなる。
金銭面で余裕のないチームは、なかなか買取に踏み切れない。ましてやマリナ・グラノフスカイア相手に値切りは至難の業だ。
フットボーラーの幸せとは
さて、レンタル移籍の功罪をここまで語ってきた。
出来るだけ多くのプレーヤーに自チームで活躍してほしいが、それは現実的には無理だ。現スカッドが25人程度なのに、30人のレンタル選手たちが全員居場所を見つけるのは明らかに不可能だ。
戦力にする、という観点で見れば、批判は当然だろう。
それでも、出来るだけ多くのプレーヤーに幸せになってほしい。それもまたサポーターの感情として事実だろう。
その点も踏まえて、レンタル移籍という制度をとらえれば、また別の見方ができるのではないだろうか。
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