オランダ人監督ってちょっと怪しくない?という話

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我らがプレミアリーグは金持ちである。

高額な放映権料を振りかざし、他クラブの有名選手を乱獲する。

他国でも上位を争うチームよりプレミア昇格組の方が金を持っているなんてザラである。

またここ数年は選手のみならず監督の質もグッと上がっている。

特にペップ・グアルディオラ、アントニオ・コンテらが初挑戦となり、ジョゼ・モウリーニョがマンチェスターUの監督に就任した16-17シーズンは大きな転換点となった。

その後はミケル・アルテタやスティーブン・ジェラード、フランク・ランパードら青年監督も続々とプレミアでデビューを果たした。

オランダ人監督とは

選手の獲得は活発とは言え、監督の入れ替えについてはチームごとに特色が異なる。

落ち着かないのはマンチェスターU、チェルシー、トッテナムだ。

元々監督をクビにするスピードに定評のあるチェルシーはさておき、マンチェスターUとトッテナムはやや異なる。

どちらも長期政権からの移行がうまく行っていない。

アーセナルもかなり苦戦をしていたが、ミケル・アルテタへの信頼を決め込んだようだ。

残念ながらまだCL権を取り返すには至っていないが、今季はいいスタートを切っている。

さてマンチェスターUとトッテナムでも、とりわけ深刻なのが前者だ。

アレックス・ファーガソン退任以降は迷走を重ね、今季も新監督で臨んでいる。

ルイ・ファンファールに続く2人目のオランダ人監督であるエリック・テン・ハグを迎えた。

また他リーグに目を向けると、ここ最近はロナルド・クーマンがトップクラブを率いたオランダ人監督の一人だ。

バルセロナの監督に就任したが、クラブ単位で混沌を極める中、明確な結果を出せず解任の憂き目にあっている。

ピッチ外が騒がしいバルセロナだが、かつての暗黒期はヨハン・クライフの力で窮地を脱している。

再びオランダ人の力を借りたわけだが、上手くいかなかったということになる。

ちなみに我らがチェルシーではフース・ヒディングの印象が強いだろうか。

毎回監督の途中解任のたびに呼ばれ、それなりに結果を出して去る。

オランダ人監督はもしかすると、火中の栗を拾うためにいるのかもしれない。

オランダ人監督は怪しいんじゃないかという

ここ数年の実績を見ると、やはりファンファール、クーマン、そしてテンハグが現代のオランダ人監督として名を上げるに相応しいか。

そんな彼らには特徴がある。

それはオランダ人をはじめとしたかつての指導選手を獲得したがるという点である。

ファンファールはマンチェスターU時代にメンフィス・デパイとダレイ・ブリントを、クーマンはバルセロナで同じくデパイとルーク・デヨングを、テンハグはオランダ人でこそないものの、リサンドロ・マルティネスをチームに加え、同じく寵愛のアントニーも獲得間近だ。

アヤックス産の優秀度合いはさておき、同胞やかつての部下を引き抜く率がやはり高い気がしてならない。

再現性がない?

別に上司の移籍に伴い部下もついていくのは珍しい話ではない。

サッカーのみならず、実社会でもよくあることだ。

しかしこれが真に優秀な指揮官がやることかというといささか懐疑的である。

というのも「偏った人員でしか成果を出せない」という証左とも言えるからだ。

彼がいなければ出来ない、彼と一緒でないと実現できない。

果たしてそれは正しい戦術だろうか。

戦術というのは再現性が重要である。

オランダ人監督が行う「同胞集め」や「部下招集」。

これは「自分の戦術は属人的で再現性がありません」と言っているようなものとも捉えられる。

マンチェスター・シティの戦い方を機械的と表する人もいるが、あれこそまさに再現性である。

局面を徹底的に構造化することで、同じような構図が延々と繰り返される。

もちろん最後は選手のクオリティが大事だが、誰が出ても遜色ないプレーをしている。

かつての教え子を集めるオランダ人監督は、この「誰が出ても遜色ない」を移籍市場の段階で諦めているとも言えるのではないか。

他の監督はどうか

その他の名将はどうか。

ペップ・グアルディオラも補強を強く要求する監督の一人だ。

とはいえ意外にも古巣からの強奪は少ない。

グアルディオラは高いレベルを要求するが、それを満たす選手は高額ながら世界にはそれなりにいるということだ。

一番苦労していたのはGK問題だったが、これもエデルソン・モラレスという才能で解決した。

もちろん獲得選手は相当レベルが高いので、並のチームでは揃えることは出来ないが、資金力のあるチームであれば獲得は可能だ。

グアルディオラの監督人生で指揮した選手より、当然世界にいるサッカー選手の数は母数として大きいからである。

 

アントニオ・コンテもまた補強をめぐり首脳陣と対立することが多い。

また得意の3バックを実現させるため、特にWBへの熱量が高い。

インテル時代にはチェルシー時代に驚きの復活を遂げたビクター・モーゼスを再び手元においている。

とはいえこちらもその程度で、そこまで引っ張ってくることはない。

WBは特殊なポジションだが市場にいないわけではない。

またモーゼスの復活から見るように、コンテ自身もコンバートや開花を得意とする。

かなり現有戦力で賄えてしまうのもあるだろう。

 

ユルゲン・クロップもアスリート能力が求められるハードなサッカーを魅せる。

しかしクロップサッカーで特に象徴的な攻撃陣は新陳代謝が盛んだ。

サディオ・マネやモハメド・サラーが絶対的な存在ではあったが、ディオゴ・ジョタやルイス・ディアスの補強組はすぐさま馴染んでいる。

スカウトの目利きはあるが、こちらも他クラブからの選手をピタリと当てている。

 

チェルシーでこだわりの強さを見せたのがマウリシオ・サッリだ。

チェルシーでの監督就任時には、秘蔵っ子のジョルジーニョをナポリから引っ張ってきた。

ジョルジーニョ不在では自身のサッカーが成り立たないと判断したためだろう。

確かにサッリのサッカーは再現性が薄く、特にその根幹であるアンカーは代替不可だったのであろう。

そんなサッリは1年でチームを離れたが、ジョルジーニョは現在もチェルシーの選手だ。

セリエAにはプレミアから引き抜く財力がないというのもあるだろうが、サッリもピアニッチなど代替選手を活用したり、戦術を変えることで対応した。

 

グアルディオラやクロップはコンセプトを重視する。

これらの監督はお金さえかければどこでも再現することが可能だ。

コンテやサッリは戦術を固定している。

そのためフォーメーションも固まりがちとなり、中核ポジションは代替が効きづらい。

コンテで言えばWB、サッリで言えばアンカーとなる。

特殊な戦術をこなせる選手なので、決して多くはないが、ある程度代替選手がいる。

教え子にこだわるオランダ人監督はやや奇異に見える。

教え子を呼ぶ弊害

もちろんチームの目的は勝利でありタイトルである。

それに貢献するために選手や監督にも給与が払われる。

勝っているうちは監督も名将としてもてはやされ、連れてきた選手は愛弟子として脚光を浴びる。

しかし調子が悪くなるとそうもいかない。

監督の手腕と同時に、愛弟子はエコひいきへと変わる。

起用を続ければチーム内外から不満が起こることも珍しくない。

 

解任ともなればより複雑になる。

監督はすぐにクビを切れるが、選手はそうもいかない。

特定の戦術でしか生きない選手は次の監督には使いづらい。

前監督の負の遺産、とか、監督交代で一気に序列が低下などというのはよくある話だ。

最悪の場合不良債権となり、チームの負債を圧迫するだけの存在になることもある。

離婚する日を考えて結婚する人がいないように、解任を見越して獲得する監督はいない。

一選手となったときに、誰もが損をする可能性をはらんでいる。

結果としてキャリアの下降線に入ってしまう選手も珍しくない。

再現性がない監督

誰でも自分の戦術を体現できる、というのは監督として重要なスキルだ。

よく弱いチームはセットプレーが弱いというものがあるが、それも試合を通じて必ず発生する事象への対策が打てていないということでもある。

それではより複雑な戦術を果たすことは難しい。

また1人の選手を40試合も50試合も出す訳にはいかない。

ひとり抜けると崩壊するチームは、長期的に成果を出せない。

そうなればタイトル争いからは自然と脱落する。

再現性がない監督は、長期政権とはなりづらいのである。

まとめ

というわけで今回はオランダ人監督について考察してみた。

もちろんどの監督にも多少はある傾向だが、特にオランダ人監督は教え子を連れてくる事が多いように思われる。

残念ながらファンファール、クーマンは愛弟子を呼んでも成果を出せず、また呼ばれた選手もその後難しいキャリアになってしまっている。

エリック・テン・ハグとアントニーがどのような結末に至るかは、要注目である。

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